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▽ブルーノ・タウト ▽フンデルトバッサー ▽ペッテンコーファー ▽ヘルマン・リーチェル ▽チレ

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ブルーノ・タウト (Bruno Taut, 1880-1938)
1880年5月4日ケーニヒスブルグ生まれ。1921年マクデブルグ市の建築技師 、1924年ベルリン住宅供給公社“GEHAG”の建築家を経て 1930年ベルリン工科大学住宅と住宅団地計画教授に。
1931年プロシャ国ベルリン芸術アカデミー会員。
1933年日本へ移民、高崎の少林山達磨寺境内の洗心亭で「日本美の再発見」等を著す。
1936年トルコへ、1938年イスタンブールでドイツ市民権を放棄。 1938年12月24日同地で死去。
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フンデルトバッサー (Friedensreich Hundertwasser, 1928-1999)
1928年ウィーン生まれの建築家。本名フリードリッヒ・シュトバッサー(Friedrich Stowasser)。
1948年に大学入学資格を得、ウィーンの美術工芸アカデミー(Akademie der Bildenden Kunste in Wien)に入学、ロビン・クリスチャン・アンダーセン教授(Prof. Robin Christian Andersen)に師事している
1949年に北イタリア、トスカーナ、ローマ、ナポリ、シシリア島で旅をしながら絵を描き、フンデルトバッサー(Friedensreich Hundertwasser)と名乗るようになる
71歳でなくなるまで、集合住宅、スパ、ごみ焼却場、ホテル、地域暖房プラント、教会、学校など20あまりの建築物をオーストリア、南ドイツを中心に、そして日本では大阪(ゴミ焼却場)にも残している
赤や黄色、緑、そして青が多用され、どこまでも続く曲線、渦巻きが多用され屋根や窓から樹木が覗いている建築、それが氏の作品である
氏が多くの常識派の反対運動にも屈せず自身の主張を貫き通し、楽しい環境共生住宅を残せたのは、母方がユダヤ系であったために受けた幼年時代の迫害を耐え抜いた事により培われた精神力であった
1999年死去(享年71歳)
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ペッテンコーファー (Max von Pettenkofer, 1818-1901)
ドイツの衛生学者。1853年ミュンヘン大学栄養化学、1866年同大衛生学教授。
1878〜1894年衛生学教室を新設、主宰。ミュンヘン市上下水道の土木工事によって腸チフスをなくしたことで著名。
また通風、換気について研究、空気中・水中の二酸化炭素定量法を発見。これにより二酸化炭素濃度が1000ppmを超えたら換気を必要とすると唱えた。コレラの原因は細菌ではなく地下水であるとし、コッホと対立、自らコレラ菌を飲んだという逸話がある。
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ヘルマン・リーチェル(Hermann Rietschel, 1847〜1914)
1847年4月19日にドレースデン (Dresden)で生まれた。父親は有名な彫刻家でエルンスト・リーチェル (Ernst Rietschel) と言った。
ワイマール (Weimar)のゲーテ・シラー記念碑 (Goethe-Schiller Denkmal) やヴォルムス (Worms) のルッター記念碑 (Luther Denkmal) は氏の代表作として知られている。
ヘルマン・リーチェルは1867年にベルリンに移り、王立工芸アカデミー (Kgl.Gewerbeakademie) で機械工学を専攻した。ここを卒業後1871年に暖房、換気、衛生設備の工事会社を設立し、1年後には氏の友人ヘンネベルク (Henneberg) の協力を得、会社を急成長させた。リーチェルは実務家としても大成功を収めたが、これだけでは満足せず、1880年に実務の傍ら著作活動に入った。
まず、ドイツの“建築ハンドブック”で暖房と換気の章を執筆した。この時期に後にベルリン工科大学となった当時のシャロッテンブルク工科大学 (TH Charlottenburg) から暖房と換気の講座をつくるために招聘を受けている。
そこでリーチェルは隆盛を誇った実業から引退し、大学教授などの公職についた。同時に、ベルリンに新しく建設される国会議事堂の建築設備審査委員などになり、ベルリン工科大学の学長にも就任している。
多くの業績を残したが、名著“換気と暖房装置の計算と設計のための教本(Leitfaden zum Berechnung und Entwerfen von Luftungs-und Heizungsanlagen)を著わした業績は大きい。この初版は、1893年に出版された。こえまでえ技術者の経験で行われてきた暖房や換気の技術に学問の裏づけが行われたのである。この著作は2巻からなり、1巻は負荷計算や配管の設計法など理論を扱い、2巻では放熱器、換気扇、ボイラなどの図面を紹介している。そのため、単に設備技術者だけでなく、一般建築家にも愛読され、たちまちに売れ切れている。第2版は、翌年少し手を加えて発行され、その後も研究の成果を盛り込んで改定が行われた。
リーチェルは1914年に亡くなっているが、1913年に出版された教本は第5巻になっており、当時の教授のBrabbeとの共著になっている。その後もその時の教授との共著の形をとり、現在では完成されたものとしては1994年に出版された16版が出ている。第17版は分冊となり現在途中まで出版されている。
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ハイエンリッヒ・チレ(Heinrich Zille, 1858〜1929)
1858年1月10日Radenberg bei Dresden生まれ。 1867年9歳でBerlinへ家族とともに転居。
リトグラフなどを学び、第一次大戦後のベルリンの労働者階級の絵を残す。
1929年8月9日Berlinで死去(享年71歳)
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